1960年大統領選挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/20 10:02 UTC 版)
「リンドン・ジョンソン」の記事における「1960年大統領選挙」の解説
ジョンソンの上院院内総務としての実績は、1960年大統領選挙で民主党における有力な大統領候補とみなされることになった。しかしこの年3月のニューハンプシャー州の予備選から勝ち上がってきたマサチューセッツ州の上院議員、ジョン・F・ケネディに獲得した代議員数で差をつけられて、またジョンソン自身の立候補宣言が遅すぎたこともあって7月の民主党大会で彼は409票を得たが、その倍近い806票を得たケネディが民主党大統領候補に選出された。そして民主党大会の最終日にケネディが副大統領候補に指名したのは対立候補であったジョンソンであった。 リベラルな北部出身のケネディがジョンソンを副大統領候補に指名したのは、南部テキサス州出身のジョンソンと組むことで、南部の保守票を獲得することにあった。これは当時も現在も正副大統領の組み合わせで南北のバランスを取ることは普通のことであった。しかし副大統領は通常大統領の補佐であって、政権内部でリーダーシップを取ることはなく、この時ジョンソンの政治指南役で同じテキサス州のサム・レイバーン下院議長は副大統領候補を受諾したジョンソンに失望したとされ、フランクリン・ルーズベルト大統領時代に副大統領を務めた同じくテキサス州出身のジョン・ナンス・ガーナーは「副大統領なんぞ、たんつぼほどの値打ちもない」とジョンソンに語っている。 同年11月、民主党のケネディ=ジョンソンは小差で共和党のニクソン=ロッジに勝利して、トルーマン大統領以来8年ぶりに民主党の大統領が誕生することとなった。
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