1925年の橋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/22 06:36 UTC 版)
1925年(大正14年)8月には長さ446.3m、幅16.4m の六郷橋が架けられた。川の水路部分を1本の橋脚と連結した2つのアーチ(タイドアーチ)で越え、河川敷の部分は連続桁橋であった。片側1車線の車道に加え、両側に歩道があった。この時の工事を請け負った業者の1つが、俳優・船越英一郎の曽祖父が営む飯島組である。 1984年12月、架け替えのための解体・撤去作業中に橋桁が落下し、死傷者18名を出す事故となった。この橋の親柱は、東京側を宮本台緑地公園に川崎側を稲毛公園に移設された。宮本台緑地には、この橋の橋門も保存されており、その柱にはこのときの事故で亡くなった5人の氏名と、作家の森村桂による鎮魂の詩が刻まれたプレートが取り付けられている。
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