1920年までの活動
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/03/17 09:11 UTC 版)
1907年(光緒33年)、早稲田大学を卒業し、帰国して民政部則例局纂修に任じられる。1910年(宣統2年)、京師高等警察学堂の教習となった。1912年(民国元年)、弁護士を開業し、律師公会会長(弁護士会会長)となった。翌年、衆議院議員に当選し、徐世昌の法律顧問として登用される。衆議院議員としては、小政党の超然社や大中党に属した。 1916年(民国5年)7月6日、江天鐸は農商部秘書に任命された。翌1917年(民国6年)7月、段祺瑞内閣で農商部次長に任命され、1920年2月27日から、靳雲鵬内閣と薩鎮氷臨時内閣で農商部長代理を務めた。同年3月25日には、糧食調査会会長も兼任したが、8月14日、薩臨時内閣の総辞職に伴い農商部次長と糧食調査会会長を辞任している。
※この「1920年までの活動」の解説は、「江天鐸」の解説の一部です。
「1920年までの活動」を含む「江天鐸」の記事については、「江天鐸」の概要を参照ください。
- 1920年までの活動のページへのリンク