大中党とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 大中党の意味・解説 

大中党

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/19 14:27 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動

大中党(だいちゅうとう)は、中華民国初期の公開政党

1913年民国2年)9月18日、臨時大総統袁世凱の命令により、総統府秘書長梁士詒交通系の指導者)は、集益社や潜社などの小政党を糾合して、御用政党である公民党を結成した。このとき、集益社の幹部である朱兆莘は公民党には参加せず、江天鐸率いる超然社や相友会などの小政党と合併し、大中党を結成したのである。

大中党は第三党として自立することを唱え、当時の国会内二大政党である国民党進歩党のいずれにも属さなかった。しかし、同年11月15日の国会停会により、大中党もまた事実上崩壊した。

参考文献

  • 謝彬『民国政党史』1924年(中華書局版、2007年、ISBN 978-7-101-05531-3
  • 李松林主編『中国国民党史大辞典』安徽人民出版社、1993年。ISBN 7-212-00630-0



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「大中党」の関連用語

大中党のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



大中党のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの大中党 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS