1911年の再オープン
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 02:57 UTC 版)
新しくなったアスター・ハウス・ホテルは東洋のウォルドルフ=アストリア、中国初の西洋式ホテルと喧伝された。500席のダイニングルームを備え、24時間温水、中国初のエレベーター、250の客室すべてに電話とシャワールームが完備されていた。 1911年11月3日に辛亥革命が起き、上海も武装蜂起に巻き込まれた。ホテルは営業を続けたものの革命の影響により財政面での危機に直面し、アスター・ガーデンを抵当に入れた。 その後経営状態を改善するために資産の切り崩しや改装を行ったがうまくいかず、1915年の8月、株主は抵当権を行使し、アスター・ハウス・ホテル・カンパニー株式会社と所有するすべての資産はセントラル・ストアーズ株式会社に売却された。 1915年にハリー・モートンがアスター・ハウス・ホテルを含む複数のホテルのマネージャーに就任し、アスター・ハウス・ホテルの経営状態は改善する。しかし1920年にはモートンは担当を外された。イギリス政府の枢密院勅令により、イギリスの会社の経営がイギリス人に限られたためだった。 1927年、アスター・ハウス・ホテルはロバート・ルディのヒストリック・ホテル・オブ・ザ・ワールドに選ばれ、50年以上にわたり第一級の宿泊施設であり続けている、と紹介されている。
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