1回目のアンガム・デー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/10/15 08:22 UTC 版)
「アンガム・デー」の記事における「1回目のアンガム・デー」の解説
1回目のアンガム・デーは、第一次世界大戦の直後にあった。1919年、第一次世界大戦終了によりナウルを含南太平洋の各島はドイツ帝国の統治から離れ、ナウルはオーストラリア・ニュージーランド・イギリスが委任統治を行うこととなった。オーストラリアのグリフィス准将が人口調査を行った。後に、現地の酋長との会合で、ナウルの人口が、民族の存続に必要とされる1500人を下回っていることを告げ、将来、人口が1500人に達した日を「アンガム・デー」として祝日とし、これを記念してそれ以降毎年祝うこと、1500人目の赤ちゃんを「アンガム・ベビー」と呼んで記念品を贈ることを提案した。その13年後の1932年、ナウルの人口は1500人に達した。1500人目の赤ちゃん「アンガム・ベビー」は10月26日に生まれ、この日をアンガム・デーとして祝うこととなった。
※この「1回目のアンガム・デー」の解説は、「アンガム・デー」の解説の一部です。
「1回目のアンガム・デー」を含む「アンガム・デー」の記事については、「アンガム・デー」の概要を参照ください。
- 1回目のアンガムデーのページへのリンク