龐涓、策略に嵌る
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/18 02:21 UTC 版)
「戦国時代 (中国)」の記事における「龐涓、策略に嵌る」の解説
孫臏の「批亢搗虚」の策に田忌は拝服し、採用した。斉軍主力を大梁に向かわせた。この重要な瞬間に、邯鄲城は落とされたが魏軍の少数の兵力を邯鄲に置いて、龐涓は主力を率いて大梁に向かった。しかし同時に斉軍は桂陵に潜伏し、魏軍の追撃の準備をした。魏軍は長期の国外の戦闘により、疲弊が露わになっていた。加えて、長距離で急速な行軍により、士気は下がった。斉軍と魏軍は一戦を交えたが、魏軍は大敗し、総大将龐涓は生け捕りとなった。結果的に魏軍の包囲は解けた。「批亢搗虚」は桂陵の戦いで実際に運用され、後世では「囲魏救趙」と呼ばれる策略となった。
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