齋藤雅子
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齋藤 雅子[注釈 1](さいとう まさこ、1931年〈昭和6年〉2月[1][2] - 2004年〈平成16年〉)は、日本の小説家、文筆家。 東京都生まれ。東京都立大学仏文学科卒業。1955年から1965年まで共同通信社記者。1968年4月『早稲田文学』に「悲しみの人魚の歌」を発表、川端康成が、芥川賞候補になぜなっていないのかと称賛した。共同通信社を退社後は、リーダーズダイジェスト、FMfan、婦人画報等、雑誌のための取材やインタヴュー、英文和訳を数多く手がけ、1970年代末からは、古典文学の解説や平安京に取材した小説などを執筆した。没時まで、日本ペンクラブ会員。本名とは別に藤岡 雪子の筆名がある[3]。
イタリア語作品の翻訳家で、第5回須賀敦子翻訳賞受賞者の齋藤ゆかりは、その子にあたる。
著書
- 『対話のある旅――世界の知識人を訪ねて』番町書房 1966.11/(文庫版)三修社 1984.9
- 本の扉に「ゆかり に」と記された献辞がある[注釈 2]
- 『古典への道案内』三一書房 1978.12
- 『京都御所=平安内裏物語』三一書房 1979.11
- 『たまゆらの宴――王朝サロンの女王 藤原定子』文芸春秋 1984.5
- 『絶えて櫻の』新潮社 1999.2
- 『悲しみの人魚の歌』三一書房 2004.12
翻訳
- 『世界の民族 第18巻(北アメリカ)』祖父江孝男監修(日本版)、平凡社、1978年12月10日。NDLJP:12144927/5。
- ジョン・クラマー 編『世界の民族 第8巻(太平洋の島々)』石川栄吉監修(日本版)、平凡社、1979年。NDLJP:12147963/5。
脚注
注釈
出典
- ^ 人事興信所 編『人事興信録』(第18版 上)人事興信所、1955年9月、さ之部 55頁。NDLJP:3025540/478。「齋藤
廣次 ()」の項目中「長女 雅子」を参照。なお、『人事興信録 第19版 上』(1957年11月、さ之部 57頁)では「鈴木陽一に嫁す」とも記載。 - ^ 人事興信所 編『人事興信録』(第24版 上)人事興信所、1968年3月、さ之部 118頁。NDLJP:3044857/1080。「長女 雅子 昭6 2生、都立大卒……同女ゆかり(昭34 12生)」父の齋藤廣次は第一銀行取締役やリッカーミシン会長などを歴任した。
- ^ 半沢良夫「「文学生活」物語(6)」『文学生活』第70号、新文化社、1975年6月20日、61頁、NDLJP:7926570/32。「後年、川端康成にその才能を認められ、華々しくはないにしても、女流作家として着実に前進しつつある斎藤雅子がこの藤岡雪子である」
参考
- 悲しみの人魚の歌 / 斎藤 雅子【著】(紀伊國屋書店ウェブストア)
- 川端康成全集 第34巻(雑纂 1)(新潮社 1982.12)361p
関連項目
- 齋藤 雅子のページへのリンク