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斉耀珊

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/24 21:38 UTC 版)

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斉耀珊
Who's Who in China 3rd ed. (1925)
プロフィール
出生: 1865年同治4年)[1]
死去: 不詳
出身地: 吉林将軍管轄区伊通
職業: 政治家
各種表記
繁体字 齊耀珊
簡体字 齐耀珊
拼音 Qí Yàoshān
和名表記: せい ようさん
発音転記: チー ヤオシャン
ラテン字 Ch'i Yao-shan
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斉 耀珊(せい ようさん)は清末民初政治家北京政府で要職をつとめた。照巖は同じく清末民初の政治家である斉耀琳

事績

1890年光緒16年)、庚申科進士となる。その後は湖北省で各職を歴任し、湖北提学使まで昇進した。1913年民国2年)1月、北京塩務籌備処処長となる。翌年3月には約法会議議員、5月には参政院参政となった。

1918年(民国7年)1月、浙江省省長となる。1920年(民国9年)6月には山東省省長に異動した。1921年(民国10年)5月、靳雲鵬内閣で内務総長兼飢饉救済会総理となる。後に督弁京師市政事宜、商務銀行総裁も兼ねた。12月、梁士詒内閣で農商総長に異動し、さらに教育総長も兼任署理した。

顔恵慶臨時内閣を経て、周自斉臨時内閣の1922年(民国11年)6月に政府の各職を離れ、農商銀行総裁となった。1927年(民国16年)、安国軍政治討論委員会委員、北京古学院経史研究会研究員などをつとめている。

以後、斉耀珊の行方は不明である。

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  1. ^ 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』2317頁による。Who's Who in China 3rd ed., p.162は、1867年生まれとする。

参考文献

  中華民国北京政府
先代:
張志潭
内務総長
1921年5月 - 12月
次代:
高凌霨
先代:
王迺斌
農商総長
1921年12月 - 1922年6月
次代:
張国淦
先代:
黄炎培
教育総長(署理)
1921年12月 - 1922年4月
次代:
周自斉



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