鹿島館とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 鹿島館の意味・解説 

鹿島館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/19 08:43 UTC 版)

鹿島館
岩手県
別名 鬼柳鹿島館・鬼柳城
城郭構造 平山城
天守構造 不明
築城主 和賀氏(鬼柳義綱?)
築城年 不明、南北朝時代?
主な改修者 和賀氏
主な城主 和賀氏、鬼柳氏、後藤半七
廃城年 天正18年(1590年)頃
遺構 曲輪
指定文化財 史跡等未指定[1]
位置 北緯39度16分09.2秒 東経141度05分15.9秒 / 北緯39.269222度 東経141.087750度 / 39.269222; 141.087750座標: 北緯39度16分09.2秒 東経141度05分15.9秒 / 北緯39.269222度 東経141.087750度 / 39.269222; 141.087750
地図
鹿島館
テンプレートを表示

鹿島館(かしまだて)は、 岩手県北上市上鬼柳5地割に所在した日本の城。別称は鬼柳鹿島館[2]鬼柳城

概要

陸奥国和賀郡鬼柳村に所在した。城跡は和賀川右岸の比高20メートル余の河岸段丘縁部に立地し、七郭に分かれる。1971年(昭和46年)と1972年(昭和47年)に北上市教育委員会によって一部発掘調査が行われたが、現在は土木工事によって半壊している。

歴史・沿革

館主は和賀一族の鬼柳氏で、東方にあった丸子館から南北朝時代に鬼柳義綱が移り住んだとされるが、遺物の年代から室町時代後期の館と考えられている。和賀川下流領域の各郷を支配し、応永8年(1401年)以降、宗家に変わって和賀郡一円の惣領頭となったが、天正18年(1590年)の豊臣秀吉による奥州仕置により所領没収、城地追放の処分がなされた。

天正20年(1592年)の『諸城破却書上』には、「鬼柳 平城 破 南部主馬助持分 代官 鬼柳源四郎」とある。

脚注

参考文献

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「鹿島館」の関連用語

鹿島館のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



鹿島館のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの鹿島館 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS