鶴川遺跡群発掘調査
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/31 02:31 UTC 版)
鶴川団地の造成に伴い、1964(昭和39)年に町田市教育委員会が中心となって「鶴川遺跡群発掘調査」が実施されている。 この調査では、石器時代から平安時代までの遺物が発掘されているが、特に多く見つかったものは縄文時代のものであり、なかでも鶴川遺跡群J地点(現在の鶴川二丁目住宅11街区東方)からは、縄文時代中期の住居跡が43軒発見されている。同地点では蛇体文様の深鉢や有孔鍔付土器、土偶や土鈴などが出土しており、縄文の宝庫と言われる多摩丘陵らしい遺跡といえる。 それに対し、弥生時代以降の遺跡は格段に数が少なくなるが、鶴川遺跡群L地点(現在の鶴川二丁目バス停付近)にて弥生時代中期の住居跡が発見されている。稲作に適さない多摩丘陵において、弥生時代住居跡の数少ない出土例である。
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