鯛生金山株式会社
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大正7年(1918年)に鯛生金山を取得し、同年6月に資本金100万円で鯛生金山株式会社(Taio Gold Mines Co., Ltd.)を設立する。旧鯛生野鉱山から鯛生金山に改名する。削岩機をはじめ立て抗エレベーター、選鉱場、精錬所、火力発電所にも英国製の最新設備を備え、英国から技師数名を招き操業を開始する。金の産出量は大正7年に90kg、大正10年(1921年)に500kg、大正13年(1924年)には1tに達し、東洋一の金の産出量を誇った。しかし、その後新鉱床の発見がなく、公害問題が発生したのを期に、大正14年(1925年)に鯛生金山の鉱山権と経営権を、兄の範多商会の総支配人・木村鐐之助に譲渡した。
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