髙瀬物産と東京凮月堂
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現在の東京凮月堂は、一度倒産した米津凮月堂を支援する形で髙瀬物産の髙瀬孝三(当時代表取締役)が設立したものである。 凮月堂総本店の番頭であった米津松造は、1872年(明治5年)にのれん分けを許された。その後、米津松造は銀座並木通りに西洋料理を出す店として「米津分店南鍋町凮月堂」を出店し、次男の恒次郎を店主としたが、養子として迎えた異母弟の米津修二の代に経営権を失った。戦後、米津修二が銀座みゆき通りに米津凮月堂として新たな凮月堂を出店するが、1964年に倒産。これを受け、当時の髙瀬物産社長である髙瀬孝三が支援する形で、1965年に東京凮月堂が設立された。2000年に「米津凮月堂」(旧社)が「東京凮月堂」(新社)を合併し、現在の「東京凮月堂」になる。東京凮月堂は本社社屋を髙瀬物産本社と共にしており、髙瀬物産自社ビル真横のビルにも「東京凮月堂」の看板を掲げている。
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