高木助一とは? わかりやすく解説

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高木助一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/14 13:22 UTC 版)

高木 助一 (たかぎ すけかず、1863年7月6日文久3年5月21日) - 1920年大正9年)2月8日)は、帝国海軍に所属した明治時代日本海軍少将である。

来歴

薩摩藩士の高木秀明の子として生まれ、高木市助の養子となる。高木家の初代は九郎左衛門といった。1882年に海軍兵学校9期)を卒業し「清輝」に乗船。日清戦争には「扶桑」分隊長として従軍。1902年に「比叡」、1903年に「千歳」の艦長に就任し、日露戦争においてはコルサコフ海戦で二等巡洋艦「ノヴィーク」を航行不能とした。また日本海海戦では駆逐艦「ベズプリョーチヌイ」を「有明」とともに追撃、撃沈した。戦後は『運用術参考書』を編纂、「見島」、「鎮遠」艦長を経て舞鶴予備艦隊司令官となり、1912年予備役。

栄典

位階
勲章

編著

  • 『運用術参考書』(軍港堂、1907年)

脚注

  1. ^ 『官報』第730号「賞勲叙任」1885年12月5日。
  2. ^ 『官報』第2194号「叙任及辞令」1890年10月21日。
  3. ^ 『官報』第2541号「叙任及辞令」1891年12月17日。
  4. ^ 『官報』第4096号「叙任及辞令」1897年3月2日。
  5. ^ 『官報』第4413号「叙任及辞令」1898年3月22日。
  6. ^ 『官報』第5920号「叙任及辞令」1903年3月31日。
  7. ^ 『官報』第7460号「叙任及辞令」1908年5月12日。
  8. ^ 『官報』第126号「叙任及辞令」1912年12月29日。
  9. ^ 『官報』第3430号「叙任及辞令」1894年12月3日。p20下段
  10. ^ 『官報』第3727号「叙任及辞令」1895年11月29日。
  11. ^ 『官報』第1311号・付録「辞令」1916年12月14日。p1

外部リンク

運用術参考書 - 国立国会図書館デジタルコレクション(保護期間満了)




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