願生寺_(東京都港区)とは? わかりやすく解説

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願生寺 (東京都港区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/10 08:19 UTC 版)

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願生寺
所在地 東京都港区高輪2-16-22
位置 北緯35度38分20秒 東経139度44分22秒 / 北緯35.63889度 東経139.73944度 / 35.63889; 139.73944座標: 北緯35度38分20秒 東経139度44分22秒 / 北緯35.63889度 東経139.73944度 / 35.63889; 139.73944
山号 槃舟山
院号 易往院
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 慶長7年(1602年
開山 証蓮社誠誉
文化財 牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔(港区指定文化財)
公式サイト 願生寺|港区高輪にある牛供養で有名な浄土宗のお寺
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願生寺(がんしょうじ)は、東京都港区にある浄土宗寺院

歴史

1602年慶長7年)、証蓮社誠誉によって開山された。証蓮社誠誉は安芸国(現・広島県)出身で、当寺の本尊となる阿弥陀如来を担いで、安芸から江戸まで来たという[1][2]

境内には「牛供養塔」がある。これは荷車を引く供養するために運搬業者が建てたものである。昭和中期の高度経済成長が始まるまで、運搬用の牛を飼う業者がこの付近にいたという[1]

1923年大正12年)の関東大震災1945年昭和20年)の空襲では、比較的軽微な被害で済んでいる[1]

また1941年(昭和16年)公布の金属類回収令により、梵鐘を供出することになった。戦後、鋳潰されていないことは判明していたが、梵鐘本体は行方不明となっていた。その後、葛飾区正福寺にあることがわかり、1976年(昭和51年)に返還された。1978年(昭和53年)に鐘楼が完成し、梵鐘が取り付けられた[1]

文化財

  • 牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔(港区指定文化財 平成20年9月9日指定)[3]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c d 願生寺について願生寺
  2. ^ 東京市芝区 編『芝区誌』東京市芝区、1938年、1396p
  3. ^ 牛供養塔及び二千七百六十人之霊供養塔港区

参考文献

  • 東京市芝区 編『芝区誌』東京市芝区、1938年

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