領有争い
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/28 08:57 UTC 版)
水ノ子島は、江戸時代には伊予国(現在の愛媛県)の宇和島藩と豊後国(現在の大分県)の佐伯藩との境界で、両藩の間で領有争いがあった。この争いは明治時代まで続いたという。言い伝えによれば、両藩で、一番鶏を合図にこの島に一番近い港から船を出して先に島に着いた藩の領地とすると取り決めたところ、佐伯藩の鶏が宵鳴きしたため、佐伯藩が先に島に着いて、この島を領有することになったという。また、幕府が、一番鶏を合図に船を出して、先に島に着いた藩の領地とするとの裁定を下したところ、佐伯藩が火を焚いて一番鶏を早く鳴かせて先に島に着き、この島を領有することになったともいう。[要出典]
※この「領有争い」の解説は、「水ノ子島」の解説の一部です。
「領有争い」を含む「水ノ子島」の記事については、「水ノ子島」の概要を参照ください。
- 領有争いのページへのリンク