山口県立響高等学校
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山口県立響高等学校 | |
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北緯34度10分10.9秒 東経130度55分53秒 / 北緯34.169694度 東経130.93139度座標: 北緯34度10分10.9秒 東経130度55分53秒 / 北緯34.169694度 東経130.93139度 | |
過去の名称 | 下関女子高等学校黒井分校 下関西高等学校黒井分校 下関西高等学校響分校 |
国公私立の別 | 公立学校 |
設置者 | ![]() |
学区 | 全県一学区 |
設立年月日 | 1948年 |
閉校年月日 | 2020年3月31日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 普通科 |
学期 | 3学期制 |
高校コード | 35163G |
所在地 | 〒759-6302 山口県下関市豊浦町小串新宮15 |
外部リンク | 公式サイト |
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山口県立響高等学校(やまぐちけんりつ ひびきこうとうがっこう)とは、山口県下関市豊浦町小串新宮に所在している公立の高等学校。
高校相撲の名門として知られたが、2020年3月をもって閉校となった。
設置学科
沿革
(沿革節の主要な出典は公式サイト[1])
- 1948年(昭和23年)6月9日 - 山口県立下関女子高等学校黒井分校(昼間定時制課程-農業科・家庭科)として豊浦郡黒井村(当時)の黒井中学校内に設置
- 1950年4月1日 - 山口県立下関西高等学校と山口県立下関南高等学校(旧下関女子高等学校)の統合のため山口県立下関西高等学校黒井分校と改称し普通科に改める(1954年に下関西高と下関南高が再分離後も下関西高の分校として存続)。
- 1972年11月1日 - 豊浦郡豊浦町(当時)小串の現在地(旧・山口龍谷高等学校跡)に移転し、校名を山口県立下関西高等学校響分校に改称する。
- 1980年4月1日 - 下関西高等学校から分離し山口県立響高等学校となる
- 1995年(平成7年)4月1日 - 普通科国際コースを設置
- 2006年4月1日 - 国際コースを廃止
- 2013年6月12日 - 本部棟の手抜き工事が発覚。同月17日に公表[2][3]。
- 2018年4月1日 -近年の生徒数減少に伴い、 豊北高校と統合して山口県立下関北高等学校を設置。
- 2020年3月 - 閉校。
著名な卒業生
跡地利用
閉校後の跡地に関して地元からは公共施設としての利活用を求める声が上がったが、下関市は財政難や公共施設削減の方針にそぐわないとして県からの取得を拒否した[4]。最終的には、近隣に立地し敷地・校舎が手狭となっていた山口県立豊浦総合支援学校の移転先となり[5]、響高校跡地に豊浦総合支援学校の校舎が新築されることとなった[6]。
脚注
- ^ “学校紹介”. 山口県立響高等学校. 2019年1月24日閲覧。
- ^ 県立響高校本館棟を立ち入り禁止に(山口県) - 山口放送、2013年6月17日。
- ^ 校舎の柱8本に基礎なし・取り壊しへ、山口県立響高 - 読売新聞、2013年6月18日。
- ^ 様々な地域課題への取組み - 豊浦地区まちづくり協議会、2025年7月25日閲覧
- ^ 令和4年度 教育委員会当初予算の概要 - 山口県教育委員会(2022年3月)、2025年7月25日閲覧
- ^ 新校舎移転だより第1号 - 山口県立豊浦総合支援学校(2025年5月28日)、2025年7月25日閲覧
関連項目
外部リンク
固有名詞の分類
- 山口県立響高等学校のページへのリンク