韓桂玉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 03:48 UTC 版)
「亜細亜諸国との和戦は我栄辱に関するなきの説」の記事における「韓桂玉」の解説
韓桂玉は『「征韓論」の系譜』で福澤を紹介し、福澤の「朝鮮や中国に対する視点は蔑視感に根ざしていた」と断定し、「彼は当初、文明発展の段階を「文明」「半開」「野蛮」の三つに分類し、欧米を「文明」に、朝鮮は日本や中国と同じ範疇に入れて「半開」の国と見ていた」と続けて、ところが、征韓論が高まったころからは朝鮮、中国を「遅鈍」「野蛮」と呼びつつ「武力による保護」を主張するようになる と説明して、その例として本社説を引用している。つまり、本社説で福澤が征韓論に反対していることにはコメントせずに、「小野蛮国」と呼んだことのみを取り上げてアジア蔑視論の一例と紹介している。
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