革共同全国委の分裂と革労協の形成
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「日本の新左翼」の記事における「革共同全国委の分裂と革労協の形成」の解説
1963年、革命的共産主義者同盟(革共同)の第3次分裂が起こり、いわゆる中核派と革マル派が成立する。また、1965年には、日本社会党の青年組織である社会主義青年同盟の武装闘争派が公然たる分派として「解放派」を名乗り、1969年に革命的労働者協会(社会党社青同解放派)(革労協)を結成した。 中核派と革労協が、大衆運動および実力行使を重視するのに対し、革マル派は組織形成と理論・党建設を重視するなど、路線が対極をなしていた。革マル派は「権力謀略論」を唱えており、他党派による自派への攻撃は国家権力による謀略であると主張し、「他党派の解体が自派の拡大、ひいては革命運動の前進につながる」といった論理で他党派の活動家を襲撃し、それに対して他党派も報復したため、次第に「内ゲバ」が激しくなった。
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