雀の松原
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/12/03 01:56 UTC 版)
雀の松原(すずめのまつばら)とは兵庫県神戸市東灘区の魚崎西町にかつて存在した松林である。布引の滝・御影の松と共に古くより景勝地として知られたが現在は石碑が名残を残すだけである。
- ^ で『魚崎町誌』より、メートル法に変換、原文は「高さ六尺五寸幅三尺厚さニ尺四寸、基石は四尺に五尺の長方形」
- ^ 同上、原文では「六尺」
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「 そは和名抄。郡郷部に摂津国菟原郡住吉郷に隣りて、佐才郷ありて、訓註欠たり。今思うにこは左ゝ以とぞ訓(よむ)べき。さて其の佐才郷は姓氏録摂津国の皇別に佐々貴山の君という姓あり、此の姓の人の代々住まれし地にして、当時は佐々貴とぞ云けむ。(略)かくて其の佐才はも、雀松原のこめいなるべくぞ思ゆる。そは此の雀の字はもと鷦鷯の借字にして、古事記に大雀命(おほささきのみこと)と記されしを日本書紀には大鷦鷯皇子(おほささきのみこ)と真字に書奉られたり。されど姓氏録にはまた古事記を例として猶雀部朝臣(ささきべのあそみ)と書れたるを後世音便に佐々以部(ささいべ)と訓るより、佐才に雀の字をも借り用ゐて書き来れりなるべし。されば此の雀松原は佐々以松原と訓べきなり。さて此の地点の佐才郷ならむには、かの住吉郷の如く、今も民家のあるべからむを、松原の跡のみなるはいかにぞやと思ふ人もあるべきか、これは余まだ幼き頃、此の郷の老人の昔話に聞しこと、いささか耳の底に残りたり。抑此の五百崎の里なむ、昔の家居多くは今の住吉川の西の地なりしを、当時(そのかみ)武庫山より水いたく溢れ出て、家とも悉くおし流されつる事のありしより、皆今の地に移りて住居したりとなむ。実や昔も今もかかる例は稀しからぬを、甚くも変りはてぬるかな、など幼き心に思ひし事のありつるを、今更にまた考ふるにいとよく符号たれば、昔は佐才郷なりしを、今の五百崎の地に移りし後はやうやうに荒れ行きて、唯松原のみ茂き野原となれるまにまに、人皆佐才松原とよびたりしを又既にいえる如く、佐才に雀の字を借り用ひしより、其を又訓ひかめて須々売松原とは云ひ来れるにぞ有ける。 」 —松尾綾平(『雀松原考』より)
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