隈部崇之とは? わかりやすく解説

隈部崇之

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/14 19:37 UTC 版)

隈部 崇之(くまべ たかゆき、1945年2月13日[1] - )は、元RKB毎日放送アナウンサーで、現在も福岡県を拠点に活動するフリーのスポーツアナウンサーである。

人物・経歴

福岡県北九州市出身[1]中央大学卒業後1967年、RKBに入り、プロ野球マラソンなど、数多くのスポーツ中継にかかわった。2001年頃に早期退職してフリーとなってからも、引き続き地元に拠点を置いて野球中継などに携わる。

息子が2人いるが、ともにラグビーをやっており、全国高校ラグビーの福岡県大会において2人が出た試合の実況を行ったという。そのことで隈部は当時スポーツニッポン西部版の取材を受けた。 また隈部本人も、ラグビー経験があった。花園ラグビー場からの中継では、メイン制作局のMBSTBSのアナウンサーとともに実況していた。

RKBラジオのナイター中継では、「福岡の攻撃!」と実況し、当時の親会社である「ダイエー」の呼び方を避けていた。

東京MXテレビで放送されている、福岡ソフトバンクホークス戦の実況を2009年まで担当していた。

担当した番組

当初実況を担当する予定だった石井智(TBSを退職直後)の病気療養により急遽マラソンの実況担当となった(石井はスタート約6時間前に逝去)。

後継者とされるアナウンサー

いずれも隈部が担当していた主なポジションを引き継いだ。
  • 植草朋樹(現在はテレビ東京に移籍)
  • 四家秀治(RKB退社後、フリーアナを経てテレビ東京に移籍。テレビ東京ではラグビー中継を担当したが、隈部より中継のノウハウを指導された。その後アナウンス職を離れて報道局に所属していたが、2011年に退社。再びフリーアナとなる)
  • 茅野正昌(同じ地元出身。現在は『別大マラソン』全体進行担当)

脚注

  1. ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、281頁。NDLJP:12276264/141 

関連項目

  • 稲尾和久
    野球中継を通じて親交があり、『今日感テレビ』稲尾死去緊急特集の際に隈部はゲストとして列席した。
  • 谷亮子
    福岡国際女子柔道で14歳で初優勝したのを機に長年実況をし続け、さらに1995年のユニバーシアード福岡大会優勝の際も実況を務めた。




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