陸用ボイラー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/07 15:45 UTC 版)
1922年に、ハロルド・ヤーロウは当時の発電ブームに乗って陸用ボイラー市場に進出することを決断した。ダンストン発電所やブライトンに設置されたボイラーは、舶用ボイラーだったからである (ダンストン発電所にはバブコック・アンド・ウィルコックス製の石炭焚き舶用水管ボイラーが設置された)。舶用ボイラーは伝熱面積が広く、蒸気の立ち上がりが速いことが認められていた。 大型陸用蒸気タービンには高効率と過熱度の向上が求められたため、舶用ボイラーを元にして設計変更が図られた。非対称ボイラーはこの設計変更により生まれたもので、一方の管群を大きくして燃焼ガスの大半を受け止めるように変更された。この管群には2組の水管群とその間に置かれた過熱器が設けられ、燃焼ガスからより多くの熱を取り出すようになった。もう一方の管群は火炉からの輻射熱で加熱されるようになっていた。 使用圧力もどんどん高くなり、1927年には575ポンド毎平方インチであったものが、1929年までには試験用ボイラーで1,200ポンド毎平方インチを達成した。
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