陸奥記念館とは? わかりやすく解説

陸奥記念館

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/10 17:20 UTC 版)

陸奥記念館
Mutsu kinen Museum
施設情報
正式名称 周防大島町立陸奥記念館[1]
専門分野 海事歴史
事業主体 周防大島町
管理運営 周防大島町
開館 1972年11月
所在地 742-2601
山口県周防大島町大字伊保田2211-3
位置 北緯33度57分2.3秒 東経132度26分15秒 / 北緯33.950639度 東経132.43750度 / 33.950639; 132.43750座標: 北緯33度57分2.3秒 東経132度26分15秒 / 北緯33.950639度 東経132.43750度 / 33.950639; 132.43750
アクセス 後述
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陸奥記念館(むつきねんかん)は、山口県周防大島町にある町立の博物館戦艦陸奥に関する遺物や遺品などが展示されている。

概要

戦艦陸奥
戦艦陸奥

日本海軍の戦艦陸奥が1943年(昭和18年)6月8日、瀬戸内海西部に位置する旧東和町の沖、現在の記念館の沖合3kmで爆沈した[2]。戦艦陸奥は建造時、世界最強の戦艦として41cm主砲を装備し、連合艦隊旗艦としても活躍したが、戦局に寄与することはなかった。現在も爆沈の原因は謎とされているが、1970年から1978年にかけて、深田サルベージによって船体の約75%が引き上げられ、多くの遺物・遺品、遺骨も引き上げられた。

その遺物の展示施設の建設構想が持ち上がり、東和町が事業主体として、1972年(昭和47年)11月、陸奥記念館として完成した[2]1994年(平成6年)に現在の場所に移転された[2]

入り口には艦首錨及び錨鎖が置かれており、また記念館に向かって右の丘には屋外展示物(スクリュー、14cm副砲、艦首先端部)と共に慰霊碑が建てられている。丘からは陸奥の沈んでいる海が一望できるようになっている。

展示内容

陸奥記念館内部
陸奥記念館の入り口に置かれる主錨
  • 屋内 - 遺品や各種資料
  • 屋外 - 艦首上部、スクリュー、14cm副砲、主錨等

利用情報

  • 開館時間 - 9:00-16:30
  • 休館日 - 無し(年中無休)
  • 観覧料 - 大人430円 小人210円(その他なぎさ水族館共通チケット、団体割引有)

交通アクセス

脚注

  1. ^ 周防大島町立陸奥記念館設置条例
  2. ^ a b c d 『読売新聞』2014年8月25日山口版西部朝刊35頁「戦艦陸奥の悲劇 継承の危機 周防大島の記念館=山口」(読売新聞社)

関連項目

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