関連ビジネスとプロジェクトの終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 10:02 UTC 版)
「童夢-零」の記事における「関連ビジネスとプロジェクトの終焉」の解説
市販化が難航する一方、零の反響は童夢に思わぬ副収入をもたらした。関連商品が大ヒットしたため、プラモデルやラジコン模型自動車からスーパーカー消しゴムに至るまで200種類もの商品化申請が寄せられ、現在の貨幣価値で10億円ほどのロイヤルティー収入があったという。これを元手に、童夢は京都府内に本社施設を構えた。 玩具メーカーは二匹目のドジョウを狙い、童夢へ新型車を作って欲しいとリクエストした。林代表は「次もスポーツカーではインパクトがない。レーシングカーにしよう」と逆提案し、憧れのル・マン24時間レースへの参戦を宣言、ロイヤルティーの前払いを受け、全社を挙げてフォード・コスワース・DFVエンジンを搭載したプロトタイプレーシングカー童夢-零RLフォードの製作に取り掛かり、1979年のル・マン24時間レースに参戦した。その結果、P-2の開発は置き忘れられ、市販化計画は立ち消えになった。
※この「関連ビジネスとプロジェクトの終焉」の解説は、「童夢-零」の解説の一部です。
「関連ビジネスとプロジェクトの終焉」を含む「童夢-零」の記事については、「童夢-零」の概要を参照ください。
- 関連ビジネスとプロジェクトの終焉のページへのリンク