関西精機の終焉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/14 16:03 UTC 版)
同社と同時にサービスゲームズ(後のセガ、後のセガ・インタラクティブ)、太東貿易(後のタイトー)、中村製作所(後のナムコ、後のバンダイナムコエンターテインメント。創業者の中村雅哉は時々同社を訪問していた)などは販売網を広げ、大手アミューズメント業として成長して行った。これに対し古川は開発に没頭して経営は部下に任せ、関西精機もエレメカを作る事にこだわり続けたため、ビデオゲームに移行して行った業界から取り残されて行った。また古川の姪の夫で経営の一部や営業を担当していた小見山崇が、途中で関西精機からのれん分けしたことも、営業面でも遅れを出す原因となった。 古川兼三は1991年6月、やはり同志社大学を出た長男の古川純一郎に経営を譲ったが、その純一郎が1993年11月に病死してしまう。跡継ぎも見つからなかったため、同社は1994年2月に廃業した。
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