関根組解散後
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藤田は、昭和28年(1953年)3月に関根組幹部だった久野益義、田山芳徳、木津政雄、和泉武志、武井紀義、山中吾一(後の榎戸一家五代目)らとともに旧関根組と旧藤田組の組員を集めて松葉会を結成した。初代会長には藤田が就任した。「松葉会」の名称は、関根のかつての親分、河合徳三郎の家紋が「松葉」であったところから名付けられた。関根は出所後に隠退し、関根建設社長に転進、東京都葛飾区立石に自宅を移した。藤田も関根の自宅近くに引越した。 以降、関根は表向き事業家として過ごしたが、藤田ら松葉会幹部たちからは一目置かれる存在だった。昭和53年(1977年)死去。
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