関東大震災後の急成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 13:09 UTC 版)
1923年(大正12年)、関東大震災が起こる。明治年間から大正初期まで126~150軒ほどであった江古田の戸数が急増するのは震災の後のことである。1924年(大正13年)4月、野方村が町制を施いた。これは震災後に急伸した村勢によるものだった。これにより江古田は豊多摩郡野方町大字江古田になった。1925年(大正14年)4月、郡制廃止が公布され、1926年(大正15年)7月、豊多摩郡役所が廃止されたが、地域名としては引き続き豊多摩郡を称した。 1929年(大正18年)、江古田に給水塔が完成した。円筒形鉄筋コンクリート造りで貯水能力35百トン。塔の高さは33.6メートル、基部は直径約18メートル。当時、江古田最大の建造物で、遠くからも望むことができ、江古田のシンボルであった。震災後、東京府郡部で急速な都市化が進み、水の需要が急増したためにつくられた。当初は「荒玉給水場」という名で後に「野方給水場」に改称した。現在の野方配水塔である。
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