関係好転とソ連崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:19 UTC 版)
1981年6月中国が鄧小平・胡耀邦体制になり、ソ連との関係を好転させる方向へ向かい始める。 1985年3月ソ連でミハイル・ゴルバチョフが書記長に就任し、翌1986年にペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)の路線を打ち出した。 1989年5月ゴルバチョフが中国を訪問し、国家関係の正常化を盛り込んだ中ソ共同コミュニケを発表したが、その直後の6月4日に天安門事件が発生する。 同年6月から12月東欧革命が勃発する。12月3日にはマルタ会談(米ソ首脳会談)が行われ、冷戦終結を宣言した。 1991年3月ワルシャワ条約機構軍事機構が廃止される。 同年6月経済相互援助会議が解散。 同年7月ワルシャワ条約機構が正式解散。 同年8月ソ連8月クーデター発生。 同年12月ソビエト連邦の崩壊。
※この「関係好転とソ連崩壊」の解説は、「中ソ対立」の解説の一部です。
「関係好転とソ連崩壊」を含む「中ソ対立」の記事については、「中ソ対立」の概要を参照ください。
- 関係好転とソ連崩壊のページへのリンク