関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで
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「新垂井線」の記事における「関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで」の解説
東海道本線には、25‰の急勾配区間が3ヶ所あり、そのうちの1つが関ヶ原・伊吹山越え(他2ヶ所は、箱根越えと逢坂山越え)と呼ばれていた。名古屋駅 - 京都駅間の鉄道建設のうち、1876年(明治9年)4月に大垣駅 - 米原駅間は、西側の米原から天野川の川筋へ向かって東進、醒ヶ井、梓、柏原を経て今須に進出、中仙道の直下を隧道(トンネル)で抜けて松尾村、関ヶ原、垂井を経て大垣へと至る計画で建設されることになった。しかし、1880年(明治13年)1月に、米原駅 - 敦賀駅間の経路変更に伴い、関ヶ原への線路は北国街道を長浜から直接関ヶ原へ向かう経路へと変更になった。その後、関ケ原駅 - 長浜駅間は官営鉄道として1883年(明治16年)5月1日に開業、この区間には春照(すいじょう)駅が設置され、1885年(明治18年)3月16日に上阪(こうざか)駅が開業した。 1884年(明治17年)5月25日に大垣駅 - 関ケ原駅間が開業、これにより大垣駅から京都駅または敦賀駅に至る旅客・貨物輸送が、長浜駅 - 大津駅間の太湖汽船会社による琵琶湖湖上連絡を利用することにより開始となった。1889年(明治22年)7月1日に、関ケ原駅 - 春照駅間にある深谷(ふかたに、開業当時駅の設置はなし。駅開業までは分岐点と表記)から長岡駅(現・近江長岡駅)を経由して、米原駅まで至る線路が開通、これにより東海道本線が全通した。同時に米原駅 - 長浜駅間の開業と、分岐点 - 長浜駅間および春照駅は廃止となるが、後者の線路は残され、この区間は1891年(明治24年)1月21日に貨物線として復活し、分岐点には深谷駅が開業した。
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