関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通までとは? わかりやすく解説

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関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/30 03:11 UTC 版)

新垂井線」の記事における「関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで」の解説

東海道本線には、25‰の急勾配区間が3ヶ所あり、そのうち1つ関ヶ原伊吹山越え(他2ヶ所は、箱根越え逢坂山越え)と呼ばれていた。名古屋駅 - 京都駅間の鉄道建設のうち、1876年明治9年4月大垣駅 - 米原駅間は、西側米原から天野川川筋向かって東進醒ヶ井柏原経て今須進出中仙道直下隧道トンネル)で抜けて松尾村関ヶ原垂井経て大垣へと至る計画建設されることになった。しかし、1880年明治13年1月に、米原駅 - 敦賀駅間の経路変更に伴い関ヶ原への線路北国街道長浜から直接関ヶ原へ向かう経路へと変更になったその後関ケ原駅 - 長浜駅間は官営鉄道として1883年明治16年5月1日開業、この区間には春照すいじょう)駅が設置され1885年明治18年3月16日上阪(こうざか)駅が開業した1884年明治17年5月25日大垣駅 - 関ケ原駅間が開業、これにより大垣駅から京都駅または敦賀駅に至る旅客・貨物輸送が、長浜駅 - 大津駅間の太湖汽船会社による琵琶湖湖上連絡利用することにより開始となった1889年明治22年7月1日に、関ケ原駅 - 春照駅間にある深谷(ふかたに、開業当時駅の設置はなし。駅開業までは分岐点表記)から長岡駅(現・近江長岡駅)を経由して米原駅まで至る線路開通、これにより東海道本線全通した同時に米原駅 - 長浜駅間の開業と、分岐点 - 長浜駅間および春照駅廃止となるが、後者線路残され、この区間1891年明治24年1月21日貨物線として復活し分岐点には深谷駅開業した

※この「関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで」の解説は、「新垂井線」の解説の一部です。
「関ケ原駅 - 長浜駅間の建設から東海道本線全通まで」を含む「新垂井線」の記事については、「新垂井線」の概要を参照ください。

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