長慶院法皇の仙洞御所
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/26 21:39 UTC 版)
青木文献によると、長慶天皇は三河吉野朝の御所宮に在位後、覚理法皇となって望理原(もうりはら、愛知県豊川市国府町、小田渕町、森、御津町下佐脇周辺)に建設された錦門御堂(仙洞御所)に住み、この仙洞御所は東西450間、南北530間で、本殿の側に王田殿があり、その南に檜殿、北に長勝寺、西に高前寺、東に馬込殿があったと伝承されている。また、「伊良湖岬常光寺調査資料」には、楠正儀が三河国望王里郷の行宮に、長慶天皇を奉衛した事蹟が記録されている。
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