錦小路頼孝とは? わかりやすく解説

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錦小路頼孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/24 22:03 UTC 版)

錦小路頼孝

錦小路 頼孝(にしきこうじ[1] / にしきのこうじ[2] よりたか、1903年明治36年〉2月19日[1] - 1950年昭和25年〉6月13日[1][2])は、昭和期の教員政治家華族貴族院子爵議員。幼名・在孝[1]

経歴

子爵唐橋在正の五男として生まれる[1][3]。叔父、子爵・錦小路在明の死去に伴い、その家督を継承して頼孝と改名し、1912年(明治45年)6月10日に子爵を襲爵した[1][3]

1927年(昭和2年)東京帝国大学文学部を卒業した[2][3]1928年(昭和3年)東京府立園芸学校教諭に就任[2]。その他、逓信省委員、運輸通信省委員、歌会始講頌などを務めた[2]

1939年(昭和14年)7月10日、貴族院子爵議員に選出され[4][5]研究会に所属して活動し1947年(昭和22年)5月2日の貴族院廃止まで1期在任した[2]

親族

  • 妻:昊子(ひろこ、油小路隆元二女)[1]
  • 長男:頼昭[1]

脚注

  1. ^ a b c d e f g h 『平成新修旧華族家系大成 下巻』308-309頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』51頁。
  3. ^ a b c 『人事興信録 第14版 下』ニ60頁。
  4. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、48頁。
  5. ^ 『官報』第3758号、昭和14年7月17日。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第14版 下』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 下巻』霞会館、1996年。
日本の爵位
先代
錦小路在明
子爵
錦小路家第2代
1912年 - 1947年
次代
華族制度廃止



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