銅像問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 09:39 UTC 版)
大正天皇即位の大典に総理の大隈重信と文相の高田早苗が列席し、早稲田大学でも慶祝行事を行ったが、総長夫人である綾子のその時の御大礼袴姿の銅像を校内に建てる話が進み、具体化した。しかし、そのことをかぎつけた恩賜館組(大山郁夫を主導者とする少壮教授グループ)は建設反対運動を起こした。維持員会はこれを受けて銅像を大隈庭園内に建設することに決定し、この問題については外部に漏らさぬことを約束した。しかし、浮田和民が自らの授業で恩賜館組の活動を公然と批判したことをきっかけとして銅像問題は高田早苗前学長再任問題(早稲田騒動)へと飛び火することになる。 綾子の銅像は彫刻家朝倉文夫の作で、1927年(昭和2年)の早稲田大学創立45周年の際、養子の大隈信常(綾子の兄の三女・光子の夫)により寄贈・建立され、現在大隈庭園に設置されている。
※この「銅像問題」の解説は、「大隈綾子」の解説の一部です。
「銅像問題」を含む「大隈綾子」の記事については、「大隈綾子」の概要を参照ください。
- 銅像問題のページへのリンク