銀座センタービルとは? わかりやすく解説

銀座センタービル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/02 05:21 UTC 版)

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株式会社銀座センタービル
Ginza Center Buildung
銀座センタービル(2016年6月)
種類 株式会社
略称 銀ビル
本社所在地 日本
070-0033
北海道旭川市3条通15丁目左1号
設立 1966年8月8日
業種 不動産業
法人番号 1450001000878
事業内容 不動産取引業、飲食店経営・運営他
代表者 安井徹
資本金 7千万円
主要子会社 株式会社ライナーネットワーク
株式会社ゼストシステム
有限会社鈴蘭ガレージ
ガーデンファクトリー
関係する人物 安井一雄(初代社長)
外部リンク http://www.gin-biru315.com/
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銀座センタービル(ぎんざセンタービル・Ginza Center Building)は、1967年昭和42年)9月[1]に旭川銀座通り商店街(地元では「15丁目」と呼ばれている)の中核施設として誕生したビル。通称「銀ビル」。地元フリーペーパーライナーネットワーク」の同族企業。

歴史・概要

銀ビルがあった場所の前身は、1909年明治9年)に設立した芝居小屋『大黒座』[2]である。1920年大正9年)に『錦座』と改称し、芝居のみならず映画も上映するようになる。1932年(昭和7年)の時点では、旭川市内の映画館は錦座と国技館、美満壽館、大勝館の計4館しかなかった[3]

その後、錦座は松竹のロードショー館となり、館名を『松竹座』と改称するも、戦後間もない1946年(昭和21年)1月、火災により焼失[1]。その跡地は同市内で『旭川国民劇場』などを運営していた本間興業株式会社によって売却され、『銀映座』として再建されるも、程なくして映画館は閉館。そして現法人創業者だった安井一雄によって“銀座センタービル”がその跡地に建設され、現在に至る[1]

地上8階、地下1階の当ビルは、結婚式場や展望回転レストランなどを有し、当時の旭川市を代表する総合施設となっていたが、商店街の衰退と共に現在では旭川銀座商店街の事務所や宴会場、そば店などを残すのみである。

地元デパート丸善三番舘と隣接している。

アクセス

脚注・出典

  1. ^ a b c 藤川顕司 (2006年11月27日). “銀座はこうして歩んできた”. 旭川・遍(あまね)く・労(いたわ)り・慈(いつくし)む会. 2013年7月10日閲覧。
  2. ^ 浦河町にある浦河大黒座とは別物。
  3. ^ 昭和7年の北海道の映画館”. 中原行夫の部屋(原資料「キネマ旬報」). 2013年7月10日閲覧。

外部リンク

座標: 北緯43度45分54秒 東経142度22分17秒 / 北緯43.76500度 東経142.37139度 / 43.76500; 142.37139





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