鉄四文銭
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 07:30 UTC 版)
万延元年12月(1861年)から四文銭も鉄銭として発行されるようになった。幕府は特に精錬した鉄地金を用いた精鉄四文銭(せいてつしもんせん)であることを強調したが、評判は悪く、鋳銭に関して損失が出るなどしたため発行は少数にとどまり、後にこれを受けて材質を銅に戻して寛永通寳真鍮四文銭より量目を減じた文久永寳が発行された。このときの銀座による鉄四文銭の鋳造高は101,887,062枚とされる。 万延元年からは東大工町、慶應元年(1865年)からは小梅の水戸藩邸(「ト」字)、慶應2年(1866年)からは陸奥大迫(「盛」字)、石巻(「千」字)、深川十万坪(「ノ」字)、慶應3年(1867年)からは安芸広島(「ア」字)でも鋳造された。 精鉄當四文銭・万延~慶應年間鋳造寛永通寳万延元年(1860年)万延期深川東大工町銭精鉄 寛永通寳慶應元年(1865年)慶應期小梅水戸藩邸銭ト 寛永通寳慶應2年(1866年)慶應期盛岡大迫銭盛 寛永通寳慶應2年(1866年)慶應期石巻銭千
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