鈴木玄淳とは? わかりやすく解説

鈴木玄淳

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 08:29 UTC 版)

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鈴木玄淳すずき げんじゅん、稚号:松江、:淳、字:子朴、元禄16年(1703年) - 天明4年(1784年))は現在の茨城県日立市出身の、江戸時代教育者である。

常陸国多賀郡友部村に生まれる。 最初、染物業を営んでいたが、佐川三順、加藤玄信らから医学儒学を習い、小宅采菊に漢学について師事し、下手綱村(現在の茨城県高萩市)で、医業を営む傍ら、私塾を開き子弟の教育に励んだ。 この塾の出身者に、日本で初めて経緯度線が入った地図を著した長久保赤水がいる。 赤水らの弟子とともに、中国竹林の七賢になぞらえ、松岡七友と称される。

著書の『唐詩平仄考』は、漢詩作成の参考書で、寺子屋教科書としても広く用いられた。 そのほかにも、庶民の教育のため『和歌年代歌』や『百姓日用訓』などを著した。

参考文献

  • 北茨城市史編さん委員会編 『北茨城市史』北茨城市 1988年




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