金刀比羅神社 (台東区)とは? わかりやすく解説

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金刀比羅神社 (台東区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 17:02 UTC 版)

金刀比羅神社

社殿
所在地 東京都台東区台東2-24-1
位置 北緯35度42分12.1秒 東経139度46分42.6秒 / 北緯35.703361度 東経139.778500度 / 35.703361; 139.778500 (金刀比羅神社 (台東区))座標: 北緯35度42分12.1秒 東経139度46分42.6秒 / 北緯35.703361度 東経139.778500度 / 35.703361; 139.778500 (金刀比羅神社 (台東区))
主祭神 大物主金刀比羅大神
創建 慶長年間(1596年 - 1615年
別名 竹町金刀比羅神社
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金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)は、東京都台東区神社

歴史

慶長年間(1596年 - 1615年)に創建された。創建者の生駒親正高松藩藩主であり、同じ讃岐国にある金刀比羅宮金刀比羅大神の分霊を生駒家中屋敷に勧請することになった。これが当社の起源である[1][2]

江戸時代、一般人が大名屋敷に立ち入ることは禁止されていた。しかし金刀比羅大神は一般人にも人気のある神であるので、参拝を希望する者が相次いでいた。そこで生駒家では幕府に願い出て、特例として毎月10日の参拝が認められることになった[1]

後に生駒家はお家騒動生駒騒動)を起こし、最終的に大名から交代寄合旗本に降格になった。しかし江戸の中屋敷はそのまま生駒家の屋敷として存続し、金刀比羅神社の祭祀も滞ることなく続けてきた[1]

1923年大正12年)の関東大震災1945年昭和20年)の東京大空襲で、その都度焼失している。現在の社殿は、1963年昭和38年)に新築されたものである[1][2]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c d 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年、956-957p
  2. ^ a b 東京都神社庁 編『東京都神社名鑑 上巻』東京都神社庁、1986年、102-103p

参考文献

  • 東京市下谷区 編『下谷区史』東京市下谷区、1935年
  • 東京都神社庁 編『東京都神社名鑑 上巻』東京都神社庁、1986年



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