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金喆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/19 04:48 UTC 版)

金 喆
各種表記
ハングル 김철
漢字 金 喆
発音: キム・チョル
日本語読み: きん てつ
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金 喆(キム・チョル、朝鮮語: 김철1896年9月6日または1898年9月6日 - 1978年3月21日[1])は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国教員ジャーナリスト独立運動家政治家制憲・第3代韓国国会議員[2]

異名金千根[3]

経歴

慶尚北道慶州郡出身。漢文修学を経て慶州私立桂南学校、大邱啓聖中学校、東京主計学校卒。中央大学法科専門部修了または中退。1919年、慶州で三・一運動太極旗デモを主導したため、保安法違反で懲役4か月の刑を受け、大邱監獄で服役した[4][3][5]。慶州桂南学校教員、新聞記者を務めたほか、1923年からは新幹会慶州支部長、軍政庁慶州郡顧問、大韓独立促成国民会慶州郡支部長・中央本部常務委員、民族統一総本部慶州郡事務局長、韓国民族代表者大会正代表、国会議員2期を務めた[2][1]

1978年3月21日、慶州市内の自宅で持病により死去。享年83[6]

脚注

  1. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年4月10日閲覧。
  2. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年4月10日閲覧。
  3. ^ a b 유공자정보 - 김철”. 공훈전자사료관. 2025年4月10日閲覧。
  4. ^ 상세내용 - 상세검색 - 독립운동관련 판결문”. theme.archives.go.kr. 2025年4月10日閲覧。
  5. ^ 상세내용 - 상세검색 - 독립운동관련 판결문”. theme.archives.go.kr. 2025年4月10日閲覧。
  6. ^ 制憲(제헌)의원 金喆(김철)옹”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1978年3月21日). 2025年4月10日閲覧。



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