酒井忠恕
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酒井 忠恕
- 酒井忠恕 (庄内藩嫡子) (さかい ただひろ、天保10年12月20日(1840年1月24日) - 安政5年11月13日(1858年12月17日)) - 出羽庄内藩9代藩主・酒井忠発の長男。正室は山内豊煕の娘。摂津守、宮内大輔。安政4年(1857年)に国元に帰国し、翌年家督相続前に急逝した。
- 酒井忠恕 (敦賀藩嫡子) (さかい ただかず、? - 天明2年4月14日(1782年5月25日)) - 越前敦賀藩4代藩主・酒井忠香の長男。母は水野忠定の娘。家督相続前に夭逝した。
- 酒井忠恕 (松山酒井家) (さかい ただよし、安永6年11月1日(1777年11月30日) - 文化元年7月4日(1804年8月9日)) - 出羽松山藩酒井家の人物。酒井忠起の長男・忠夷の子。出羽松山藩内での家督継承抗争に伴い、給米3000俵を与えられて別家を立て、幕府旗本寄合となった。
- 酒井忠恕 (静岡藩) - 幕末期の旗本・静岡藩家臣。通称は録四郎。酒井忠誨の子。兄弟の酒井忠績・忠惇は、ともに養子として姫路藩主となるが、戊辰戦争で兄弟ともに佐幕派として処分されたため、明治政府の命令で忠恕の許に預けられた。
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