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鄭鎮奭

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/30 14:15 UTC 版)

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本来の表記は「鄭鎭奭」です。この記事に付けられた題名は技術的な制限または記事名の制約により不正確なものとなっています。
鄭鎭奭
第13代ソウル大司教枢機卿
大司教区 ソウル
着座 1998年4月3日
離任 2012年
聖職
司祭叙階 1961年3月18日
司教叙階 1970年10月3日
枢機卿任命 2006年3月24日
個人情報
出生 (1931-12-07) 1931年12月7日
日本統治下朝鮮京城
死去 (2021-04-27) 2021年4月27日(89歳没)
紋章
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ニコラス鄭鎭奭(英:Nicholas Cheong Jin-Suk、ハングル:정진석、チョン・ジンソク、1931年12月7日 - 2021年4月27日[1])は、大韓民国ローマ・カトリック教会枢機卿。第13代ソウル教区大司教を務めた。

1970年から1998年までは清州教区の司教を務め、2006年に枢機卿になった。

人物

京城生まれ。1954年に神学校神学士号(B.Th)を取得する以前は、ソウル大学校で化学エンジニアリングを学んでいた。香港社会学を学んだのち、1961年3月18日に当時の大司教、パウロ盧基南によって司祭叙階され、ソウルで司祭を務めた。

1962年には小神学校の教授になり、ソウル大教区法院の公証人になった。

1964年から65年までローマ教皇庁の書記とカトリック会議の次長を務めた。1966年から67年までは司教書記[訳語疑問点]と小神学校の助任司祭[訳語疑問点]を務め、その後ローマで教会法を学び、1968年から1970年まで教皇庁立ウルバノ大学に通った。

1970年6月25日、鄭はローマ教皇パウロ6世によって第2代清州教区司教に選ばれた。10月3日に盧基南大司教、メリノール宣教会司教ジェームズ・パーディ、清州市聖家族教会共同奉献者[訳語疑問点]のペテロ韓玜烈から司教祝聖を受けた。1998年4月3日にはソウル大司教に任命され、同年6月6日、平壌の使徒座管理者[訳語疑問点]を務めた。また、同年には韓国司教会議の議長を務め、韓国カトリック教会のスポークスマンも務めた。

2006年3月24日の教皇枢密会議の際、ベネディクト16世は彼をボッチェアのルルド無原罪の聖母[訳語疑問点]の枢機卿に任命し、翌年5月6日に彼はローマ教皇庁家庭評議会の最高委員に任命され[2]、2007年2月3日には w:Council of Cardinals for the Study of the Organizational and Economic Problems of the Holy Seeにも任命された。近年は広報評議会の一員にもなった。

脚注

外部リンク

先代:
金寿煥
カトリックソウル大司教区 教区長
1998年 – 2012年
次代:
廉洙政



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