都町設置以後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 10:18 UTC 版)
「都町 (薩摩川内市)」の記事における「都町設置以後」の解説
1940年(昭和15年)2月10日に鹿児島県公報に掲載され、同日に施行された「 薩摩郡川内町、町名改稱竝區域變更」(鹿児島県告示)により「大字西手ヲ廢止シ其ノ區域中(中略)字麥、灰原、門前、屋敷田、南本領、都原、京手、山口、尾見鳥、道床、霜月田、田浦、中山、永田、字中塚ノ内(番地一覧略)字青山ノ區域ヲ都町ミヤコチヨウト」することが鹿児島県知事によって許可され、薩摩郡川内町大字西手のうち字麥、灰原、門前、屋敷田、南本領、都原、京手、山口、尾見鳥、道床、霜月田、田浦、中山、永田、青山の全域及び字中塚ノ内の一部の区域を以て川内町の町「都町」が設置された。翌日の2月11日には薩摩郡川内町が単独で市制施行し川内市となった。1993年(平成5年)に都町字南及び字本領の各一部を青山町に編入し、青山町字原田の一部を都町に編入した。 2004年(平成16年)10月12日に川内市、東郷町、入来町、祁答院町、樋脇町、下甑村、上甑村、鹿島村、里村が新設合併し薩摩川内市が設置された。この市町村合併に伴い設置された法定合併協議会において川内市の町・字については「現行通りとする。」と協定されたため、名称の変更は行われずに薩摩川内市の町となった。
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