部下の亡命
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 13:38 UTC 版)
「ニコラエ・チャウシェスク」の記事における「部下の亡命」の解説
1978年、ルーマニアの秘密警察セクリタテアの上級幹部であるイオン・ミハイ・パチェパがアメリカに亡命した。陸軍少将でもあったパチェパは西側にルーマニアが構築したスパイ網の情報をもたらしたため、チャウシェスク政権にとって大きな痛手となった。チャウシェスクは内相を含む政府、軍部関係者を大量更迭して国内の引き締めを図るとともに、秘密警察の組織・運営の見直しを余儀なくされた。パチェパは1986年に出版した著書『Red Horizon : Chronicles of a Communist Spy Chief 』にて、チャウシェスク政権の内情(アメリカの産業に対する大々的な工作活動や、西側から支持を得るための取り組みなど)を暴露している。パチェパ亡命後のルーマニアはより孤立を深め、経済は停滞した。チャウシェスクの諜報機関は外国の諜報機関によって逆に侵入を受けるようになり、チャウシェスクによる支配は徐々に弱まっていった。かつてのパチェパの協力者を一掃するためセクリタテアの再編成を試みるも効果は無かった。
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