郡内領の支配
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/13 18:53 UTC 版)
小山田氏は郡内領主を称しているが、支配領域である谷村領は郡内全域ではなく、小菅氏の治める小菅(小菅村)や西原武田氏の治める西原(以下上野原市)や加藤氏の治める上野原と分立していた。谷村領は桂川流域で、岩殿山(以下大月市)から初狩、大原荘(南都留郡富士河口湖町、富士吉田市)から山中(山中湖村)にかけての領域であった。 谷村領は東西の交通の要衝であり、江戸時代には甲州街道として整備されている。笹子峠越えで甲府盆地へ抜け武田氏の治める国中と通じ、上野原を経て相模国へも通じる。また御坂峠・籠坂峠越えで駿河国とも通じる鎌倉街道にも通じ、谷村から桂川沿いに吉田へ通じる谷村路も整備された。小山田氏は輸送に関する諸役を免除する発給文書を数多く残しており、多国間の流通を支配した。領域の大半が山林であり耕地に乏しいため生業は山稼ぎが主で、穀物は他国からの輸入にたよっていた。 武田氏の御親族衆で領内に独自支配を及ぼしていた穴山氏に対し、譜代家老衆の小山田氏の治める谷村領内では武田氏の支配も及んでおり、富士参詣者の集まる御師町であった吉田や河口などでは、入山料の徴収や棟別銭の賦課や検地が行われており、訴訟の裁定を武田氏に委ねることもあった。
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