郡内の郷
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 01:36 UTC 版)
平安時代中期の承平年間(930年代)に編纂された『和名類聚抄』には郡内の郷として鹿屋、串伎、野裏、岐刀の4郷が記されている。このうち岐刀郷は大隅郡にも記載されている。鹿屋はのちの鹿屋院、すなわち現在の鹿屋市街地周辺、串伎はのちの串良院、すなわち現在の東串良町および旧串良町にそのまま比定される。 郡名と読みを同じくする「姶﨟郷」は大隅郡の項に記載されていること、また、『大隅国風土記』逸文では串卜郷が大隅郡所属とされていることから、大隅国成立から平安時代までの間に両郡の領域に変動があったと考えられている。
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