邸跡をめぐる動き
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/13 09:55 UTC 版)
昭和15年(1940年)ごろに一部の研究者によって衣張山の麓にある遺跡が時政邸跡であると推定され、以降、神奈川県教育委員会が作成した遺跡地図や遺跡台帳にも「北条時政邸跡」と記されてきた。しかし鎌倉市が平成20年(2008年)後半に発掘調査を実施した結果、時政の時代の遺物は発見されず、最も古い遺構でも13世紀後半のものと推測されたため(時政は13世紀前半に没している)、時政邸跡ではない可能性が濃厚になり、平成21年(2009年)になって「大町釈迦堂口遺跡」と名称が変更された。 上記の調査の結果、この遺跡はおそらく鎌倉時代の寺と推測されており、歴史的資料としての価値はあるとして史跡指定が目指されている。
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