連歌の幽玄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/05 05:39 UTC 版)
南北朝時代の連歌の大成者である二条良基はその著書『九州問答』の中で「所詮連歌と云物は、幽玄の境に入ての上の事也。」と述べており、『十問最秘抄』の中では、心の持ち様を意味する用法としての「意地」の説明の中で、「正しくゆがまず幽玄なる事」の普遍的な必要性を説いている。 室町時代中期の天台宗の僧であり、連歌作者として知られる心敬は、その著書『心敬僧都庭訓』の中で「幽玄というものは心にありて詞にいはれぬものなり」と述べている。また歌論『ささめごと』において、一般人が単に「姿の優ばみたること」を幽玄と心得るのに対し、「古人の幽玄体と取りおけるは、心を最用とせしにや」として美意識ともいうべき「心の艶」が条件として伴うものとしている。また連歌においては、感情・面影・余情を旨として「いかにも言ひ残し理なき所に幽玄・哀れはあるべしとなり」と記している。 室町時代後期の連歌師宗祇は、著書『吾妻問答』の中で「長高く幽玄有心なる姿」、『長六文』の中で「幽玄にたけたかく」という表現を用いており、宗祇の連歌における理想を示すものと考えられている。
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