連声海とは? わかりやすく解説

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連声海

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/27 16:09 UTC 版)

連声海
Who's Who in China 4th ed. (1931)
プロフィール
出生: 1885年光緒11年)
死去: 1947年民国36年)9月
中華民国
出身地: 広東省広州府順徳県
(現:仏山市順徳区
職業: 政治家
各種表記
繁体字 連聲海
簡体字 连声海
拼音 Lián Shēnghǎi
ラテン字 Lien Sing-hai, Lien Sheng-hai
和名表記: れん せいかい
発音転記: リエン ションハイ
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連 声海(れん せいかい、繁体字: 連聲海; 簡体字: 连声海; 拼音: Lián Shēnghǎi; ウェード式: Lien Sheng-hai)は、中華民国の政治家。声海であり、本名は不明。

事績

上海法政学校を卒業後に日本へ留学し、早稲田大学に入学した。1915年民国4年)12月、中華革命党広東支部総務科科長に任命されている。翌1916年(民国5年・大正5年)に早稲田大学専門部政治経済科を卒業した[1]

1917年(民国6年)に帰国し、同年11月に護法軍政府印鋳局局長となった。軍政府が改組されると、大理院刑庭書記官長に移っている。1923年(民国12年)3月に広東大元帥府秘書、1925年(民国14年)9月に広東省政府秘書処主任秘書、1926年(民国15年)1月に広州で民国政府秘書長と歴任した[2][3]

同年11月、広州国民政府で交通部秘書長に起用され、翌1927年(民国16年)10月には南京国民政府で秘書長に抜擢された。1928年10月から1927年10月国民党中央特別委員会の事務局長として。1928年(民国17年)10月、鉄道部政務次長に移り、1931年(民国20年)6月からは鉄道部部長署理を半年間務めている。その後は全国経済委員会委員に転じ、1935年(民国24年)1月、立法院立法委員となり、後に中央政治委員会交通専門委員会委員も務めている。立法委員在任中の1947年(民国36年)に死去。享年63[2][3]

  1. ^ 早稲田大学校友会(1934)、789頁。
  2. ^ a b 劉国銘主編(2005)、1012頁。
  3. ^ a b 徐主編(2007)、1130頁。

参考文献

  • 徐友春主編『民国人物大辞典 増訂版』河北人民出版社、2007年。ISBN 978-7-202-03014-1 
  • 劉国銘主編『中国国民党百年人物全書』団結出版社、2005年。 ISBN 7-80214-039-0 
  • 劉寿林ほか編『民国職官年表』中華書局、1995年。 ISBN 7-101-01320-1 
  • 『早稲田大学校友会会員名簿 昭和十年用』早稲田大学校友会、1934年。 
中華民国
先代
孫科
鉄道部長(署理)
1931年6月 - 12月
次代
葉恭綽



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