追悼碑・墓
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 07:45 UTC 版)
大塩事件研究会によって、昭和51年(1976年)大塩父子の終焉地近傍の大阪市西区靱本町1丁目18番12号(天理教飾大分教会の敷地内)に追悼碑が建てられた。碑には「大塩平八郎終焉の地」と刻まれ、大きさは横2.24m、高さ1.13mである。終焉地である油掛町の美吉屋の跡は、この碑がある道路の一本北の道に北面していた。2021年、靱公園へ移転した。 平八郎と格之助の墓は大阪市北区の成正寺にある。戦災で破損した墓を1957年に復元したものである。昭和62年(1987年)、墓の隣に「大塩の乱に殉じた人びとの碑」が建立された。毎年、命日の3月29日に慰霊法要が営まれる。 大塩終焉地の碑(大阪市西区) 平八郎と格之助の墓
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