返上決定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 00:18 UTC 版)
「1940年東京オリンピック」の記事における「返上決定」の解説
国内情勢が返上に傾いた日本政府は7月15日、閣議で開催権を正式に返上した。東京市が1930年から返上までの間、拠出した五輪関係費用は90万円(2017年8月現在の価値で約23億4千万円)にのぼる。 代わってヘルシンキでの開催が決定したが、1939年(昭和14年)9月にヨーロッパで第二次世界大戦が勃発したため、こちらも結局開催できなかった。なお、夏季大会は開催返上・取りやめの場合でも第1回からの通し回次番号がそのまま残るため、公式記録上では東京・ヘルシンキそれぞれ1回は「みなし開催」となったことになる。
※この「返上決定」の解説は、「1940年東京オリンピック」の解説の一部です。
「返上決定」を含む「1940年東京オリンピック」の記事については、「1940年東京オリンピック」の概要を参照ください。
- 返上決定のページへのリンク