近藤三助以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 07:10 UTC 版)
二代目の近藤三助は、天然理心流の最後の免状である指南免許や印可を誰にも与えず46歳で早世した。そのため決まった後継者がいなかった。免許までを受けていた高弟たちは、その後天然理心流を各地で教授する事となった。また近藤三助の高弟の一部は、初代近藤内蔵之助の高弟である小幡万兵衛に改めて指導を仰ぎ、指南免許を受ける事となる。 各地で天然理心流を教授した近藤三助の高弟には以下のような人物がいる。 漆原権左衛門 桑原永助 - 漆原と同じく、三助の死後、小幡万兵衛より指南免許を受けたと言われる。 島崎周助 - 後の近藤周助。剣術免許。 増田蔵六 - 八王子千人同心。近藤三助門下の中で実力随一といわれ、剣術、柔術、棒術の免許を受ける。戸吹および八王子近辺にて多くの弟子を育てる。指南免許は小幡万兵衛より受けた。明治4年没。 松崎正作及び松崎和多五郎 幕末期に近藤周助の養子である近藤家四代目近藤勇が京都で新選組を結成した事で知名度を上げた。また、桑原永助門弟の小野田東市が講武所剣術師範に採用されている。
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