踏鞴戸一族の氏神と菩提寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/07 11:26 UTC 版)
「踏鞴戸平兵衛」の記事における「踏鞴戸一族の氏神と菩提寺」の解説
箒川の大洪水で壊滅して以降、踏鞴戸村が復興されることなく、生き残った人々は周辺の地に移住してしまい、現在は耕地化されてタタラドの小字名が残るのみとなったが、その名残は、その周辺にいくつか残されている。 そのひとつが水分神社(みくまりじんじゃ)であり、ここに踏鞴戸村の氏神が合祀されて奉られている。また、この裏手に弥勒院という寺があり、明治初年に廃寺となったと伝えられているが、これが踏鞴戸氏の菩提寺あるいは祈願寺であったと考えられている。 ちなみに、当地は高台になっており、孫字名を「寄居」というが、寄居とは人々が集まる場所という意味の言葉であり、洪水の際に避難所となったために名付けられたと言われている。 また、踏鞴戸の西には大導地(だいどうじ)と呼ばれる小字名が残っており、この地に大導寺という踏鞴戸一族に関係する寺があったと言われている。この寺の存在については疑問も持たれているが、当地には寺跡と考えられる遺構が残っており、また、直近にある墓地には住職のものと思われる卵塔も残されているが、これらが踏鞴戸村と踏鞴戸一族を現在に偲ばせる名残となっている。
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